東京高等裁判所 平成11年(行ケ)438号 判決 2000年12月26日
原告
クリーンテックス・ジャパン株式会社
代表者代表取締役
【A】
訴訟代理人弁理士
三好秀和
岩崎幸邦
原裕子
被告
株式会社ダスキン
代表者代表取締役
【B】
訴訟代理人弁理士
鈴木郁男
奥貫佐知子
主文
特許庁が平成11年審判第35111号事件について平成11年11月15日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1原告の求めた裁判
主文第1項同旨の判決。
第2事案の概要
1 特許庁における手続の経緯
被告は、名称を「レンタル用靴拭きマット」とする特許第2667115号発明(平成6年3月15日特許出願、平成9年6月27日設定登録。本件発明)の特許権者であるが、原告は、平成11年3月12日、本件発明について無効審判請求をし、平成11年審判第35111号事件として審理されたが、平成11年11月15日、本件審判の請求は成り立たないとの審決があり、その謄本は同年12月8日原告に送達された。
2 本件発明の要旨
【請求項1】
基布と、基布にタフト化されたマットパイルと、基布の非パイル面に施されたエラストマーバッキングとを備えたレンタル用靴拭きマットにおいて、基布幅方向のタフトステッチの列が、基布幅方向に対して斜めに若干傾斜して、一方の折返し点から幅方向に所定の一定間隔及び長手方向に小間隔をおいた他方の折返し点に至るようにジグザグ状に形成されていて、全体として基布長手方向に延びるタフトステッチの帯状列を形成しており、タフトステッチの長手方向に隣り合った前記折返し点を結ぶ境界線は、前記折返し点間ピッチよりも大きいピッチのジグザグ状境界線を形成しており、基布幅方向に隣り合ったタフトステッチの帯状列の折返し点同士は共通のジグザグ状境界線上に位置すると共に、一方の側の帯状列の折返し点が他方の側の帯状列の長手方向に隣り合った折返し点の中間に位置し、マットパイルは互いに色相の異なる複数のマットパイル面を有し、マットパイルには全く死糸がなく、且つ隣り合った色相の異なるマットパイル面間には少なくとも1個の非ステッチ部が介在していることを特徴とする靴拭きマット。
【請求項2】
長手方向に隣り合ったタフトステッチの列が、互いに寸法が異なるように設けられている請求項1記載の靴拭きマット。
【請求項3】
タフトステッチの基布幅方向の折返し点間の平均幅寸法(W)が20乃至80mmで且つ長手方向の折返し点間のピッチ(Ps)が3乃至20mm及び幅方向のずれ寸法(Ws)が2乃至16mmである請求項1または2記載の靴拭きマット。
【請求項4】
ジグザグ状境界線の基布幅方向の出入り寸法(Z)が5乃至25mmであり、且つ長手方向ピッチ(Pz)が20乃至80mmである請求項1、2または3記載の靴拭きマット。
【請求項5】
基布が延伸ポリエステルフィルムの偏平スリットヤーンの平織布から成る請求項1記載の靴拭きマット。
【請求項6】
基布が延伸ポリエステルフィルムの偏平スリットヤーンの平織布に合成繊維の綿状繊維をニードルパンチングした基布から成る請求項1記載の靴拭きマット。
【請求項7】
マットパイルがナイロン繊維或いはアクリル繊維のマルチフィラメント糸或いは紡績糸であり、その太さが500乃至5000デニール/本、撚数が50乃至300回/メートル及びパイル長が5乃至30mmである請求項1記載の靴拭きマット。
【請求項8】
基布へのマットパイルの打ち込み本数が5乃至15本/インチである請求項1記載の靴拭きマット。
3 審決の理由の要点
(1) 原告(請求人)の主張
原告は、審判甲第1号証ないし審判甲第5号証を提出し、本件発明1ないし8(番号は請求項の番号に対応)は、審判甲第1号証ないし審判甲第5号証に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないものであって、本件特許は特許法123条1項2号に該当し、無効とすべきであると主張している。
(2) 審判甲第1号証ないし審判甲第5号証
(2)-1 審判甲第1号証(特開平4-138126号公報)には、基布と、基布にタフト化されたマットパイルと、基布の非パイル面に施されたエラストマーバッキングとを備えたレンタル用靴拭きマットにおいて、マットパイルは互いに色相の異なる複数のマットパイル面を有する靴拭きマットが記載されている。
(2)-2 審判甲第2号証(特表昭61-501462号公報)には、模様入りタフテッド織物であって、基布と、基布にタフト化されたパイルとからなるタフテッド織物において、基布幅方向のタフトステッチの列が、全体として基布長手方向に延びるタフトステッチの帯状列を形成しており、パイルは互いに色相の異なる複数のパイル面を有し、パイルには全く死糸がなく、かつパイルには少なくとも1個の非ステッチ部が介在しているタフテッド織物が記載されている。
(2)-3 審判甲第3号証(特開平6-49763号公報)には、隣接する針によって形成されたタフトの間の境目が筋状に見えるという問題を完全に解消し得るようにしたタフテッド織物であって、基布と、基布にタフト化されたパイルとからなるタフテッド織物において、基布幅方向のタフトステッチの列が、基布幅方向に対して斜めに若干傾斜して、一方の折返し点から幅方向に所定の一定間隔及び長手方向に小間隔を置いた他方の折返し点に至るようにジグザグ状に形成されていて、全体として基布長手方向に延びるタフトステッチの帯状列を形成しており、タフトステッチの長手方向に隣り合った前記折返し点を結ぶ境界線は、前記折返し点間ピッチよりも大きいピッチのジグザグ状境界線を形成しており、パイルは互いに種類(色相)の異なる複数のパイル面を有し、パイルには全く死糸がないタフテッド織物が記載されているとともに、基布幅方向に隣り合ったタフトステッチの帯状列の折返し点同士は共通のジグザグ状境界線上に位置するとともに、一方の側の帯状列の折返し点が他方の側の帯状列の長手方向に隣り合った折返し点の中間に位置する構成が示唆されている。さらに、長手方向に隣り合ったタフトステッチの列が、互いに寸法が異なるように設けること、タフトステッチの基布幅方向の折返し点間の平均幅寸法が2インチ、すなわち約51mmでかつ長手方向の折返し点間のピッチが約3mm及び幅方向のずれ寸法が約3mmであること、ジグザグ状境界線の基布幅方向の出入り寸法が1/2インチ、すなわち約13mmであり、かつ長手方向ピッチが約26mmであることが、それぞれ開示されている。
(2)-4 審判甲第4号証(特開平1-227715号公報)には、基布にタフティングマシンによるパイル柄模様とパイルがタフトされていない模様部とが形成され、かつ該模様部の基布面に前記タフティングマシンによるパイル柄模様とは異色又は異質の糸のパイルが手作業により植え付けられているカーペット(ラグ、マット類を含む)が記載されている。
(2)-5 審判甲第5号証(特開平4-71522号公報)には、基布と、基布にタフト化されたマットパイルと、基布の非パイル面に施されたゴムバッキングとを備えたレンタル用靴拭きマットにおいて、基布がポリエステルフィルム状ヤーンの平織布と繊維がフィラメントタイプ又はスパンタイプから成る綿状層とを有しかつ綿状層が前記織布を通してニードルパンチングされて成る複合体であり、マットパイルがナイロン繊維あるいはアクリル繊維のマルチフィラメント糸であり、その太さがパイルトータルデニールとして500ないし10000デニールの範囲にあり、パイル長が3ないし20mmの範囲にあり、基布へのマットパイルの打ち込み本数が2ないし20本/インチである波打ちを防止したレンタル用靴拭きマットが記載されている。
(3) 対比・判断
本件発明と審判甲第1号証ないし審判甲第5号証に記載のものとを比較すると、審判甲各号証には、少なくとも本件発明1ないし8に共通する、「レンタル用靴拭きマットにおいて、基布幅方向のタフトステッチの列が、基布幅方向に対して斜めに若干傾斜して、一方の折返し点から幅方向に所定の一定間隔及び長手方向に小間隔をおいた他方の折返し点に至るようにジグザグ状に形成されていて、全体として基布長手方向に延びるタフトステッチの帯状列を形成しており、タフトステッチの長手方向に隣り合った前記折返し点を結ぶ境界線は、前記折返し点間ピッチよりも大きいピッチのジグザグ状境界線を形成しており、基布幅方向に隣り合ったタフトステッチの帯状列の折返し点同士は共通のジグザグ状境界線上に位置すると共に、一方の側の帯状列の折返し点が他方の側の帯状列の長手方向に隣り合った折返し点の中間に位置」する構成(このタフトステッチの列を、以下「特定の二重ジグザグ構造のタフトステッチ列」という。)が記載されておらず、また、この構成を示唆する記載も見当たらない。そして、本件発明は上記構成により、「マットのどの方向への移動をも防止するような復元力が得られ、マットの位置ずれを防止できる」、さらに、「タフトステッチの存在が全体にわたってランダム化且つ均一化されると共に、使用・洗浄再生を反復したときの残留応力が分散され、波打ちの発生を有効に防止できる」という明細書に記載の効果を奏するものである。
確かに、審判甲第3号証には、特定の二重ジグザグ構造のタフトステッチ列について示されているが、これは単にタフテッド織物自体を対象にしたものであり、その目的も、隣接する針によって形成されたタフト間の境目が見えない織物を提供することにある。
そして、一般的に、タフテッド織物がレンタル用靴拭きマットに用いられることは知られているとしても、マットの位置ずれ防止あるいは波打ちの発生防止というレンタル用靴拭きマットに特有の課題を解決するために、特定の二重ジグザグ構造のタフトステッチ列をレンタル用靴拭きマットに適用することは、当業者といえども容易に想到し得ないことであり、それにより奏される効果も予測し得たものとはいえない。
また、審判甲第1号証には、レンタル用靴拭きマットの基本構成が示されているにすぎず、審判甲第5号証には、波打ちを防止したレンタル用靴拭きマットが記載されてはいるが、課題解決手段が本件発明とは全く異なるものである。
さらに、審判甲第2号証は模様入りのタフテッド織物を、審判甲第4号証は柄模様を有するカーペットを、それぞれ開示するにとどまり、これらのものは上記レンタル用靴拭きマットに特有の上記課題若しくは課題解決手段を何ら開示するものではない。
そうすると、本件発明が、審判甲第1号証ないし審判甲第5号証に記載されているとも、審判甲第1号証ないし審判甲第5号証に記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとすることもできない。
(4) 審決のむすび
以上のとおりであるから、原告の主張する理由及び提出した証拠方法によっては本件発明を無効にすることはできない。
第3原告主張の審決取消事由
1 取消事由1(審判甲第3号証の記載事項の認定判断の誤り)
(1) 審決は、「審判甲各号証には、少なくとも本件発明1ないし8に共通する、「レンタル用靴拭きマットにおいて、基布幅方向のタフトステッチの列が、基布幅方向に対して斜めに若干傾斜して・・・位置」する構成(このタフトステッチの列を、以下「特定の二重ジグザグ構造のタフトステッチ列」という。)が記載されておらず、また、この構成を示唆する記載も見当たらない。」と認定判断しているが、誤りである。
審判甲第3号証には、「カーペット、壁カバー、室内装飾品等のタフテッド製品製造用の装置に応用するものであり、」(段落【0010】)、及び「隣接する針によって形成されたタフトの間の境目が筋状に見えるという問題を完全に解消することができる。」(段落【0024】)との記載があり、ここで具体的に掲げられている「カーペット」、「室内装飾品」、「壁カバー」は典型的な例示として掲げられているものであって、記載の効果は例示として掲げられているものにとってだけでなく、本件発明の「靴拭きマット」にとっても意味のある重要な効果である。
そして、本件発明は、審判甲第3号証記載のカーペット等にゴムシートを一体化させたものであるが、基布(マットパイルがタフト化された基布)にゴムシートを一体化させたところには特徴がなく、本件発明の特徴とする構成は、基布の構成、すなわち、審決のいう「特定の二重ジグザグ構造のタフトステッチ列」にあるのであって、この構成は審決の認定するとおり審判甲第3号証に記載されている。
(2) したがって、実質上、審判甲第3号証には、本件発明の靴拭きマット(審判甲第3号証記載のカーペット等である「基布」にゴムシートを一体化させると、靴拭きマットとなる。)が記載されているということとなる。
2 取消事由2(本件発明の作用効果の認定判断の誤り)
(1) 審決は、「本件発明は上記構成により、「マットのどの方向への移動をも防止するような復元力が得られ、マットの位置ずれを防止できる」、さらに、「タフトステッチの存在が全体にわたってランダム化且つ均一化されると共に、使用・洗浄再生を反復したときの残留応力が分散され、波打ちの発生を有効に防止できる」という明細書に記載の効果を奏するものである。・・・マットの位置ずれ防止あるいは波打ちの発生防止というレンタル用靴拭きマットに特有の課題を解決するために、特定の二重ジグザグ構造のタフトステッチ列をレンタル用靴拭きマットに適用することは、当業者といえども容易に想到し得ないことであり、それにより奏される効果も予測し得たものとはいえない。」と認定判断しているが、本件発明は明細書記載の効果を奏するものではないから、審決の認定判断は誤りである。
(2) マットの位置ずれ防止の作用効果について
マットの位置ずれとは、入り口の床面に敷設したマット上を人が靴を履いて歩行した場合、マットが床面の敷設位置からずれることをいう。人の歩行による外力がマットに加えられた時、床面に平行な方向にマットを押す力が、マット(具体的には床面に直接接触しているゴムシート)と床面との間の最大静止摩擦力より大きくなると、床面においてマットの位置ずれを生ずる。ところで、最大静止摩擦力は、床からマット面に対して垂直方向に作用する垂直抗力の大きさに比例するものであって、この比例定数を最大静止摩擦係数といい、マット(ゴムシート)と床面との間の状態によって決まるものである。したがって、位置ずれが生じるか否か、そしてそれを防止しうるか否かは、ゴムシートと床面との関係において決まるのであり、マットに加わる外力が、大きさ、方向とも同じであっても、マットと床面との間の状態、たとえばその間に砂、ほこり、水等が有るか無いか等によって上記最大静止摩擦係数が異なるため、位置ずれを生じたり、生じなかったりするのであって、マットパイルの植設の方向性とは無関係である。
被告は、本件発明においてはマットパイルが復元しようとする力を全体として弱め、これにより位置ずれを防止させていると主張するが、パイルは、ばねのように弾性を持つものではなく、パイルに加えられた外力は、マットにそのまま外力として加えられる。仮にパイルが弾性を持つものとしても、その復元力は人の重力にともなう外力に比して無視できる程度の徴々たるものであり、また復元力の作用する方向は、床面と平行なマットを押す方向ではない。
(3) 波打ちの発生防止について
マットの波打ちに関し、本件明細書には、
(イ) 「マット基布にゴムシートを熱融着させる際ゴムシートは既に熱で伸びており、この熱で伸びた分だけが製造後に縮むので、両者の間に寸法差を生じ、波うちを生じる。」(本件特許公報2頁右欄24~27行)、
(ロ) 「洗浄時にもゴムは非収縮であるのにたいして、基布は収縮して寸法差を生じ、やはり波うちを生じることになる。」(本件特許公報2頁右欄27~29行)
との技術的課題の記載がある。
(イ) については、本件発明の特徴である基布における「特定の二重ジグザグ構造のタフトステッチ列」という構成とは何ら関連がなく、本件発明は(イ)の技術的課題を解決し得ない。しかも明細書には、(イ)について、具体的実施例も実験結果も示されていない。
(ロ) については、本件明細書には、実施例と実験結果(表1)が示され、マットの収縮度合と波打ち発生状況が測定されている。しかし、この実施例と実験結果は、ゴムが貼着されたマットについてのものであって、ゴムの非収縮性と基布の収縮性による両者の寸法差を解消するための解決手段を何ら示していない。つまり、ゴムと基布の収縮性における相対的な差異と本件発明の基布の特殊構造との関係については示していないのであるから、本件発明の効果を立証するものではない。
被告は、波打ち防止についての説明を試みているが、タフトステッチの収縮力が何故ランダムに分散されるのか、ランダムに分散されるとは具体的にどういうことなのか、何故ランダムに分散されると波打ちの発生を有効に防止することができるのかなど、本件発明の本質にわたる点についての説明がない。「波打ち」は、洗浄・再生に伴うラバー組成の変化と基布(原反)の収縮とに起因して発生するものであり、基布の収縮は、基布自身の織り組織と構成糸により大きく影響されるのであって、波打ちの発生防止とタフトステッチ列を特定の二重ジグザグ構造としたこととは、関係がない。
第4審決取消事由に対する被告の反論
1 取消事由1について
(1) 審判甲第3号証の基布(マットパイルがタフト化された基布)は、原告が述べているとおり、カーペット、室内装飾品、壁カバー等に使用されるものであり、本件発明が対象とするレンタル用靴拭きマットに用いることについては、審判甲第3号証には言及がない。この点に関して、審決は、審判甲第3号証に関して、「確かに、甲第3号証には、特定の二重ジグザグ構造のタフトステッチ列について示されているが、」とし、原告主張の審判甲第3号証記載の事実及び「一般的に、タフテッド織物がレンタル用靴拭きマットに用いられることは知られている」との一般的事実を認めた上で、「これは単にタフテッド織物自体を対象にしたものであり、その目的も、隣接する針によって形成されたタフト間の境目が見えない織物を提供するにある。」との審判甲第3号証に関する認定判断を行っているのであるから、審決には、審判甲第3号証に対する認定判断に遺漏はなく、その結論も正当である。
(2) 原告は、審判甲第3号証記載の効果は、本件発明においても意味のある重要な効果である旨主張しているが、本件発明の作用効果の主たるものは、色柄の境界部分を鮮明にすること、靴拭きマットの位置ずれ防止及び使用・洗浄再生時の波打ち防止にあり、審判甲第3号証記載の効果は本件発明の作用効果とは無関係である。
(3) 審決では特に言及されていないが、本件発明においては、隣り合った色相の異なるマットパイル面間に少なくとも1個の非ステッチ部が設けられているのに対して、審判甲第3号証記載の基布では、このような非ステッチ部は設けられていない点において顕著に相違する。このような非ステッチ部を設けることにより、本件発明においてはマットパイル面の境界部分における色相の異なるマットパイルの混在を有効に防止でき、これにより鮮明で明確なパターンをマット表面に形成することができる。審判甲第3号証には、本件発明のこのような作用効果について記載も示唆もない。
2 取消事由2について
(1) 審決は、本件明細書の記載のとおり本件発明の作用効果を認定しており、そこに誤りはない。
(2) マットの位置ずれについて
靴拭きマットに作用する力の原因は、パイルの方向性、パイルの堅さ、パイルの植設密度、パイルが植設される基布(原反)の堅さ等に関係し、マットパイルの植設の方向性が、人の歩行により踏まれたマットパイルの復元力の大きさに影響を与えるので、ゴムシートと床面との関係だけでは位置ずれの発生及び防止は議論できないことは明白である。本件発明においては、運針が楔形に動いて植設されたパイルの方向性はランダムであることから、パイルの復元力が伝搬する方向がばらつき、これらが互いにかき消す方向に働くため、靴拭きマットに作用する力、すなわちマットパイルが復元しようとする力を全体として弱め、これにより位置ずれを防止させている。
したがって、位置ずれが生じるか否か、それを防止するか否かはゴムシートと床面との関係において決まる、との原告主張は誤りであり、マットの位置ずれ防止に関する本件明細書の記載及び審決の認定判断には誤りはない。
(3) 波打ち防止について
本件発明においては、特定の二重ジグザグ構造のタフトステッチ列を採用することにより、タフトステッチの存在が全体にわたってランダム化かつ均一化され、使用・洗浄再生を反復したときのタフトステッチの収縮力がランダムに分散され、しかも本件発明のレンタル用靴拭きマットでは多色マットでありながら、死に糸がないためにタフトステッチによる収縮力が少なくなり、波打ちの発生を有効に防止することができる。
本件明細書の実施例の結果からも、直線状の織り込み方向のマットは、長さ方向に収縮が大きく波打ちを生じるが、本件発明では、幅及び長さ方向がほぼ均一に収縮し波打ちが生じないことが示されている。
したがって、特定の二重ジグザグ構造のタフトステッチ列は靴拭きマットの波打ち防止に役立っているので、審決の認定判断に誤りはない。
第5当裁判所の判断
1 取消事由1について
(1) 審決は、「審判甲第3号証には、特定の二重ジグザグ構造のタフトステッチ列について示されている」、「一般的に、タフテッド織物がレンタル用靴拭きマットに用いられることは知られている」と認定しているが、この認定については原告において争っていないところである。
甲第2号証によれば、本件明細書には「色柄が鮮明で」(段落【0001】、段落【0009】)、「ファッション性がのあるものが好まれており」(段落【0004】)、「独自の装飾効果及びファッション性を付与する」(段落【0051】)及び「鮮明で明確なパターンをマット表面に形成することができる。」(段落【0052】)との各記載があることが認められ、これらの記載によると、レンタル用靴拭きマットにおいては、外観のファッション性が重要な要素であるものと認めることができる。
一方、甲第3号証によれば、審判甲第3号証には、「隣接する針によって形成されたタフトの間の境目が筋状に見えるという問題を完全に解消することができる。」(段落【0024】)との発明の課題及び効果に関する記載のあることが認められ、この課題及び効果は、外観のファッション性に関するもので、レンタル用靴拭きマットにも共通するものというべきである。そして、「一般的に、タフテッド織物がレンタル用靴拭きマットに用いられることは知られている」ことは、被告も特に争うところではないので、審判甲第3号証記載の課題をレンタル用靴拭きマットにおいても解決し、審判甲第3号証記載の効果を奏するように、「特定の二重ジグザグ構造のタフトステッチ列の構成を有する審判甲第3号証記載の基布の用途としてレンタル用靴拭きマットを選ぶことは当業者が容易に推考し得るものというべきである。
したがって、取消事由1は理由がある。
(2) なお、被告は、「本件発明においては、隣り合った色相の異なるマットパイル面間に少なくとも1個の非ステッチ部が設けられているのに対して、審判甲第3号証記載の基布においては、このような非ステッチ部は設けられていない点において顕著に相違する。」と主張するが、この主張に係る相違点は、審決が審判甲第3号証に記載の発明との対比において認定しているところではないから、この相違点に関する本件発明の構成の容易想到性につき、本訴において審理、判断するのは相当ではない。
なお、審決中には、「原告は、審判甲第1号証ないし甲第5号証を提出し、本件発明1ないし8は、審判甲第1号証ないし甲第5号証に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである・・・と主張している。」、「審判甲第1号証(特開平4-138126号公報)には、・・・マットパイルは互いに色相の異なる複数のマットパイル面を有する靴拭きマットが記載されている。」、及び「審判甲第2号証(特表昭61-501462号公報)には、パイルは互いに色相の異なる複数のパイル面を有し、パイルには全く死糸がなく、かつパイルには少なくとも1個の非ステッチ部が介在しているタフテッド織物が記載されている。」との認定があることから、被告主張の上記相違点があるとしても、審判甲第3号証記載の発明に審判甲第1号証又は審判甲第2号証記載の技術を組み合わせることにより、被告主張の上記相違点に係る本件発明の構成が容易に推考できるか否かが審判において審理されることが予想される。
2 取消事由2について
(1) 床面に敷設して使用したときのマットの位置ずれ防止の作用効果について
(1)-1 本件明細書には、「本発明によれば、二重ジグザグ構造の特定のタフトステッチ組織を採用することにより、床面に敷設して使用したときのマットの位置ズレを防止し、」(甲第2号証段落【0048】)、及び「即ち、本発明のマットのタフトステッチでは、マット基布の長手方向に大小二つのジグザグ構造が存在すると共に、マット基布の幅方向には、両方向に楔形の構造が存在する。従って、このタフトステッチのジグザグ状構造と楔形構造とが相俟って、マットのどの方向への移動をも防止するような復元力が得られ、マットの位置ずれを防止できるものである。」(同号証段落【0049】)との各記載が認められ、これらによれば、二重ジグザグ構造の特定のタフトステッチ組織を採用することにより、マットのどの方向への移動をも防止するような復元力が得られることが、位置ずれ防止の要因とされている。
(1)-2 しかしながら、位置ずれが生じるか否かは、人の歩行による外力によってマットを水平に押す力と、マットの床と接触する部分と床間の最大静止摩擦力との大小により決定されるものであるところ、人の歩行による外力により、マットパイルが変形し、復元力を有するとしても、マットパイルがわずかの力で容易に変形することは経験上明らかであると認めるべきである一方、この復元力が前記最大静止摩擦力とマットを水平に押す力の大小関係に影響を及ぼすほどの大きさであると認めるに足りる根拠を示す証拠はない。本件明細書においても、この復元力につき、二重ジグザグ構造の特定のタフトステッチ組織を有する靴拭きマットと従来の靴拭きマットとの比較対照がなされているわけではないから、本件明細書記載のとおりに本件発明の効果として認めることは困難である。
(1)-3 のみならず、審判甲第3号証には「この発明は一般的にカーペットや室内装飾品等の模様入織物製品製造用のタフティング装置に関し、」(甲第3号証2頁2欄42~44行)との記載のあることが認められ、ここに例示された「カーペット」には、床に置かれ、床との間で特段の固定構造を有しないものが包含されることが明らかである。そして、そのようなカーペットにあっては、レンタル用靴拭きマット同様、カーペットの位置ずれを防ぐことが重要な課題であると認められるのであり、仮に「二重ジグザグ構造の特定のタフトステッチ組織」(審決のいう「特定の二重ジグザグ構造のタフトステッチ列」)が位置ずれ防止において有効であると認められるとしても、審判甲第3号証記載のカーペットも同じタフトステッチ組織から成る以上、本件発明同様に位置ずれ防止という課題を達成しているものと認めるべきものであり、上記課題がレンタル用靴拭きマットに特有であるとの審決の認定及び作用効果に関する審決の判断は是認することができない。
(2) 波打ちの発生防止について
(2)-1 本件明細書には、実施例1として、
「下記打ち込みデザインにてサンプルA,Bを作製した。サンプルA,Bは同一タフト個数/inchとなる様設定した。
サンプルA 直線状タフト
サンプルB 図4に示す。
・・・洗浄を行いくり返し40回使用し使用後のマット収縮度合と波うち発生状況を測定した。結果を表1に示す。」(甲第2号証段落【0046】)
「表1より織り込み方向が直線状のサンプルAは長さ方向に収縮が大きくマット全体に波うちを生じたがサンプルBは幅、長さ方向が均一に収縮し局部的な収縮もなく波うちも発生せず好適に使用できた。」(同号証段落【0047】)
との各記載があることが認められ、本件発明のマットであるサンプルBが、従来技術のマットであるサンプルAに比して、波打ち防止の点で効果を奏するものと一応認めることができる。
(2)-2 しかしながら、本件明細書には
「タフト化基布とゴムシートとは化学組成も物性も著しく相違することから、製造中や使用中或は再生中に寸法差を生じ易く、・・・これが波うちの原因となるのである。・・・洗浄時にもゴムは非収縮であるのにたいして、基布は収縮して寸法差を生じ、やはり波うちを生じることになる。」(甲第2号証証段落【0007】)
「タフトステッチの存在が全体にわたってランダム化且つ均一化されると共に、使用・洗浄再生を反復したときの残留応力が分散され、波打ちの発生を有効に防止できる。」(同号証段落【0022】)
との記載があることが認められ、このことからすると、「使用・洗浄再生を反復したときの波打ち」は、レンタル用靴拭きマットに特有の現象というよりも、基布及びそれと物性(洗浄時の収縮率)を異にするバッキングが一体となっており、かつ洗浄を繰り返して使用する物品一般に生じ得る現象であると認めることができる。
そうすると、波打ち防止が本件発明のレンタル用靴拭きマットに格別の作用効果であるか否かは、審判甲第3号証記載のタフテッド織物の用途が前記した物品に該当しないといえるか否かによって決せられるべきものである。そして、審判甲第3号証が「カーペット」を用途の例として挙げていることは前示のとおりであり、タフテッド・カーペットの多くがゴムを含むバッキングを有することは周知の事実であるから、「使用・洗浄再生を反復したときの波打ちの発生を有効に防止することができる。」という作用効果は、審判甲第3号証記載の基布の具体的用途として記載されたカーペットに内在する作用効果でしかなく、審判甲第3号証から容易に予測し得るものというべきである。
(3) 上記(1)、(2)を総合すれば、マットの位置ずれ防止及び波打ちの発生防止がレンタル用靴拭きマットに特有の課題であるとはいえず、そのことについての本件発明の作用効果についても、そもそも効果として認めることができないか、又は審判甲第3号証記載の発明から容易に推考し得るものにすぎないということができる。
したがって、取消事由2も理由がある。
第6結論
以上のとおり、原告主張の審決取消事由は理由があり、原告の請求は認容されるべきである。
(裁判長裁判官 永井紀昭 裁判官 塩月秀平 裁判官 橋本英史)